『中学受験のための幼児教育』というカテゴリーを作りました。まだ受験に成功したわけではありませんが、これまでにやってよかった、やらせてよかったと思うことを書いてみたいと思います。
読み聞かせのすすめ
今から約11年前、長男が誕生したときに、唯一の教育方針として考えたことは本の好きな子に育てること。生後半年のころには、絵本を買い与え「読み聞かせ」を実践した結果、期待していた通りに本の大好きな子に育ってくれました。
長男が小さい頃には、今の仕事に転職する前で職場近くの社宅にすんでいたこともあり、寝る前に本を読んで聞かせてやる時間がたっぷりありました。1歳半から長女がうまれる3歳ころまでは、毎晩のように2冊3冊の絵本を読んでやったこともあり、小学校2年生の時には、振り仮名さえあればたいていのお話の本は読めるようになりました。どこまで理解しているのかは分かりませんが、8歳の頃にはハリーポッターシリーズも2冊読みきっていました。スポーツがあまり得意でないこともあり、本で読んで得た知識をひけらかすのが玉にきずではありますが。
長女は、長男のお気に入りも読んでやらなければならなかったこと、(転職して)子供たちが寝る前に帰宅することが少なくなったこともあり、長男に読んでやったほどの冊数の本を読んであげることはできませんでしたが、本好きの長男の影響もあり、長男同様に絵本が大好きな子に育ってくれました。8歳になった今では、妹に絵本を読んでやるほどになりました。小学校1年生のときには、お兄ちゃんも大好きだった『二分間の冒険』をいっきに読み終えました。
3歳になる次女には、二人の絵本がどっさりあるのでまだ彼女のために買い与えた絵本は多くありませんが、このところ急に絵本好きになってきました。
では、なぜ「本の好きな子」にしようと思ったのか。僕自身は、小学校時代はそれほど多読家ではありませんでした。せいぜい怪盗ルパンとかシャーロックホームズものを学校の図書室で借りて読む程度でした。武者小路実篤の恋愛小説をきっかけに中学ぐらいからだんだんと小説を読むようになり、予備校時代には受験勉強が手につかなかったこともありいろいろな分野の本を読みあさりました。それが今の自分にとても役に立っていると思えます。人間が一生のうちに経験できることは、かなり限られていますが、本を読み主人公の気持ちとなることで、実際に経験して学べる以上のことを本は教えてくれると信じています。また、小さいときには母が「こどものとも」、「かがくのとも」を買い与えてくれ、とくに「かがくのとも」は、大好きでした(結局、大学では科学を専攻し、メーカーの研究者を経て、現在も科学に関連する仕事をしています)。また、長男が誕生してしばらくして(もしかしたら生まれる前だったかも?)郵送されてきた「読み聞かせ」を進める絵本購入プログラムの広告も、長男を「本の好きな子」にしようと思ったきっかけの一つだと思います。幼児時代に絵本を読んで聞かせることで、理解力が高く情緒豊かな子に育つといったことが書いてあったと思います。実際に長男は、論理的に考えることができる子に、長女は気配りのできる優しい子に育ってくれたと思っています。
教育関係の職場で働く長男の友達のお母さんが言っていたのですが、「本の好きな子」は自分の空想の世界を構築でき、好きなことを見つけるとそれに没頭できる子が多いそうです。うちの息子を見ても、恐竜や昆虫などが大好きだったころは、一人で勝手に図鑑で調べ、絵を描くことに熱中するとほかのことに見向きもしませんでした。私自身は、地元の進学公立高校に入り、(一浪はしたものの)それなりの大学に合格し、卒業後は一部上場企業の研究職としての仕事を得て、学歴重視の考え方で言えば、成功している方だと思います。ただ、「今これをやらなきゃいられない」といった感覚で何かにうちこんだことはなく、なんとなく好きだからぐらいで自分の人生を選んできた気がします。子供たちには、なにか「すごく好きなこと」を見つけて欲しいなぁと思っています。
もしかすると「本の好きな子」に育てられたせいでうちの子供たちは、はたから見ると苦労の多い人生を歩むかもしれません。でも、好きなことで苦労するのならその方が豊かな人生を歩むことができるのではないかと思っています。
という訳で、無事本の好きな子に育ってくれた長男ですが、先日の四谷大塚|合不合判定予備テストの結果から、思ってもいない効果があることがわかりました。算数、社会、理科は壊滅的な点でしたが、国語だけは小学校6年生の問題でありながら、偏差値で 55 という(他の教科と比べて)高い点数をとることができました。このところさぼっている漢字で満点がとれていれば、偏差値で 60 ぐらいになります。
『できるだけ塾に通わずに、受験に勝つ方法』や『進学塾不要論-中学受験は自宅でできる』によれば、受験準備でもっとも伸ばしにくいのが国語とのこと。
これは私が過去に著してきた本の中でも繰り返し述べている、いわば教育の真実なのですが、学力を決定づけるものは国語力であり、「頭が良い悪い」を決めるのも国語力です。重ねて言えば、「頭がいい人」とは「国語力のある人」のことにほかなりません。
理数系を目指しているから国語力は不要、というのも大変な間違いです。国語力がなくして、どうやって日本語で書かれた入試問題を解くことができるでしょう。難しい資料を読み解くことができるでしょう。論文を書き上げることができるでしょう。
著者である松永暢史氏が国語教育の専門家であることを差し引いても、国語力が重要であることは間違いないと思います。実際、私が大学への出向中にお世話になった先生(ノーベル賞候補としてマスコミで取り沙汰される大物です)も、すごく論理だった話をされていました。
もちろん、中学校や高校にはいってから国語力が向上する子もたくさんいますので、小学校時代の国語力で「頭が良い悪い」を判断するのは乱暴だと思いますが、中学受験にとって有利であることは間違いないと思います。
なお、すでに本を読まないまま大きくなってしまったお子さん向けには、松永氏は自著『子どもを伸ばす音読革命―ぐんぐん国語力がついてくる驚異の「日本語一音一音法」』を勧めています。